法人と園の沿革

1933年
(昭和8年)
9月 創始者高柳暉がスイスの教育実践家・社会事業家ペスタロッチ(Johann Heinrich Pestalozzi.1746-1827)の教育精神に基づいて貧困ろうあ児の養育と教育を目的とした東京ろうあ技芸学園という先駆的な児童福祉施設を設立
1948年
(昭和23年)
1月 戦後、東京愛育苑と改称。児童福祉法によるろうあ児施設及び児童養護施設として認可
1951年
(昭和26年)
5月
高松宮、同妃殿下台臨される
10月
昭和天皇、皇后両陛下行幸啓される
1966年
(昭和41年)
4月 児童養護施設が葛飾区に新築移転。跡地利用について地元住民からの要請により、保育施設に転換を計画
9月 東京愛育苑さゆり保育園の設置許可(園舎は養護施設を改築)
1970年
(昭和45年)
10月
三笠宮、同妃殿下の台臨を仰ぎ、東京愛育苑さゆり保育園新園舎竣工式を挙行 (現園舎・鉄筋コンクリート4階建)
2000年
(平成12年)
5月 初代園長高柳博子が勲5等に叙せられ瑞宝章賜与
2014年
(平成26年)
10月 園舎耐震改修工事完了
2017年
(平成29年)
4月 「子供の最善の利益」を理念にした新体制開始
2019年
(令和元年)
墨田区主催「子ども主体の協同的学びプロジェクト」に私立保育園代表として参加

歴史について

東京愛育苑とさゆり保育園の歴史

私たちの法人は、昭和8年に当時の東京市本所区に聴覚障害児を対象とした社会事業施設を設立したのがその始まりです。創設者高柳暉はペスタロッチの教育精神をもとに、聴覚に障害のある子ども達に生活の糧を得るための実学を身に付けさせる先進的な学園を作りました。
その後、第二次世界大戦の戦渦を乗り越え、昭和23年に東京都墨田区寺島町(現在のさゆり保育園の所在地)に移転し、聴覚障害児のみならず、焼け跡の東京の街にあふれる戦災孤児の為の児童養護施設を併設し「東京愛育苑」と改称しました。昭和26年には当時の昭和天皇皇后両陛下や高松宮、同妃殿下の訪問を受けるなど、その先駆的福祉事業は社会の注目を浴びました。
昭和41年、児童養護施設の収容人員が増加し、手狭になった施設が隣接する葛飾区に移転し、跡地の利用を地域住民の熱望にて、新たに認可保育所を開設。これが現在の東京愛育苑さゆり保育園です。昭和45年には現在の園舎である鉄筋コンクリート4階建て園舎になり、区内初の0歳児保育を手掛けるなど地域住民の立場に立った保育を展開してきました。
現在、東京愛育苑は葛飾区水元の地で、児童養護施設向島学園や介護老人保健施設東京愛育苑ケアレジデンス等の各種介護保険事業を始め、先々代理事長である高柳欽一氏が開院し地域医療に貢献する医療法人社団愛育苑診療所と協力し、総合的な福祉と医療を提供する社会福祉グループに発展しています。



峯陽さん直筆の楽譜、さゆり保育園の宝物です。